2011年 07月 30日
小学校時代の長崎の思い出風景を探して
帰省のときは、いつも両親と旅行をするのが常なのですが、
今回はドライバーである母が体調不良のため行きませんでした。
なので、普通の夏休み状態でごろごろ過ごしていたら、
さすがの都会の疲れも消えてしまいました。
いつの間にか元気いっぱい!!
(現在すでに疲れ気味・・・)
7月20日から朝のラジオ体操が裏の中学校の校庭で始まったので、
是非に参加!(笑)
家に戻って朝食食べてしばらくしたら、不覚にも眠くなってしまったのですが、
昼前に再び起きても元気は持続・・・
めったに行かない懐かしい近所の散歩に出かけることにしました。
この日は、台風の後太陽の日差しは強いけどやけに風は涼しい日で、お散歩日和でした。
お散歩と言うか、ミニミニトレッキング?
高台の海星高校の体育館とグラウンドをはさむ道。石畳です。
こんな狭い道だっけ?
(後で、父に話したら、ここは痴漢がでるから歩くな。と言われました。正午頃だから安心でしょ?)
脇にはこんな道がたくさん。
何かに導かれるように、どんどん疲れも知らず登ってゆきました。
右下の青い屋根の建物は、海星高校。
父の母校で、今甥っ子も通っています。昔は無かったけど現在はスーパー進学コースもできて
人気を集めているらしいです。
ミッションスクールで、建物は塗装したてだったらしく、その姿は夏の太陽を浴びて
パライソ(楽園)のようでした。 ここは天国かと思いました。
写真を撮ってたら良かったな。
さらに登ってきました。
「ドンの山」という山と言うか、丘があって、そこが今日の目標地点。
さすがに、やまのてっぺんあたりでは息が切れました。
「ドンの山」の語源は、昔正午になると大砲で「どんっ!!」と時を知らせていたからです。
山の上は、運動公園になっていますが、草ぼうぼう・・・荒れています。
手前に公衆トイレがあり、ちょっと女子が近づくのは危険な雰囲気です。
反対方向(繁華街方面)の風景。お墓がいっぱいです。
長崎の高台には、民家とお墓が混在・共存しています。
夜は怖いんじゃないのかなーと思いますが、慣れるのかな?
このドンの山には、小学生の頃近所の子供たちとなぜか連れ立って登った思い出があります。
今となっては遠くない距離ですが、その頃はちょっとした冒険でした。
道の反対側は校区ですが、もう反対側は別の校区という心理的な作用も働きましたし。
昔のドンの山は、草っぱらの山のてっぺんで、子供たちがいっぱい遊んできました。
この日は、子供の姿は一人も見えませんでした。
どっちかというと、高年齢化しているかもしれませんね。
この急な階段は、「五十段坂」と呼ばれていました。
小学校以来に訪れたかもしれません。両脇はもっと木がうっそうと生えていたような気がします。
この下に母校である小学校があります。この長い階段を登ったのところに二つ目の校庭
「上の運動場」があって、体育の時間は楽々とこの階段を登っていました。
その母校も廃校になってしまいました・・・。(奥に校舎が見えますね)
階段を登っているご婦人に「登るのきつかですね」って声をかけました。
「くだりはよかですけど、登るのはね・・・休み休み登ります・・」
でも、下りも怖かったです。
階段が斜めに切れた感じで均質でなく、中央の手すりにすがってこわごわ下りましたよ。
昔はこんな感じではなかったような、改修したようですが、手抜き工事?かもね。
まいにちこの階段を登るのはつらいです・・・。
左のピンクのアパートはイマイチ人気ないようですよ。
(近くまで迂回道路で車は入るようで、乗り合いタクシーもあるのですが)
うちの実家は平地に経っていますが、小学校のときの友人の家のほとんどは高台にありました。
いつもちょっとした山登りをしながら、遊びに行っていたとっても懐かしい~思い出です。
今は用事が無いので近くてもなかなか訪れません。
私の子供の頃の長崎の風景です。
今回はドライバーである母が体調不良のため行きませんでした。
なので、普通の夏休み状態でごろごろ過ごしていたら、
さすがの都会の疲れも消えてしまいました。
いつの間にか元気いっぱい!!
(現在すでに疲れ気味・・・)
7月20日から朝のラジオ体操が裏の中学校の校庭で始まったので、
是非に参加!(笑)
家に戻って朝食食べてしばらくしたら、不覚にも眠くなってしまったのですが、
昼前に再び起きても元気は持続・・・
めったに行かない懐かしい近所の散歩に出かけることにしました。
この日は、台風の後太陽の日差しは強いけどやけに風は涼しい日で、お散歩日和でした。
お散歩と言うか、ミニミニトレッキング?
高台の海星高校の体育館とグラウンドをはさむ道。石畳です。
こんな狭い道だっけ?
(後で、父に話したら、ここは痴漢がでるから歩くな。と言われました。正午頃だから安心でしょ?)
脇にはこんな道がたくさん。
何かに導かれるように、どんどん疲れも知らず登ってゆきました。
右下の青い屋根の建物は、海星高校。
父の母校で、今甥っ子も通っています。昔は無かったけど現在はスーパー進学コースもできて
人気を集めているらしいです。
ミッションスクールで、建物は塗装したてだったらしく、その姿は夏の太陽を浴びて
パライソ(楽園)のようでした。 ここは天国かと思いました。
写真を撮ってたら良かったな。
さらに登ってきました。
「ドンの山」という山と言うか、丘があって、そこが今日の目標地点。
さすがに、やまのてっぺんあたりでは息が切れました。
「ドンの山」の語源は、昔正午になると大砲で「どんっ!!」と時を知らせていたからです。
山の上は、運動公園になっていますが、草ぼうぼう・・・荒れています。
手前に公衆トイレがあり、ちょっと女子が近づくのは危険な雰囲気です。
反対方向(繁華街方面)の風景。お墓がいっぱいです。
長崎の高台には、民家とお墓が混在・共存しています。
夜は怖いんじゃないのかなーと思いますが、慣れるのかな?
このドンの山には、小学生の頃近所の子供たちとなぜか連れ立って登った思い出があります。
今となっては遠くない距離ですが、その頃はちょっとした冒険でした。
道の反対側は校区ですが、もう反対側は別の校区という心理的な作用も働きましたし。
昔のドンの山は、草っぱらの山のてっぺんで、子供たちがいっぱい遊んできました。
この日は、子供の姿は一人も見えませんでした。
どっちかというと、高年齢化しているかもしれませんね。
この急な階段は、「五十段坂」と呼ばれていました。
小学校以来に訪れたかもしれません。両脇はもっと木がうっそうと生えていたような気がします。
この下に母校である小学校があります。この長い階段を登ったのところに二つ目の校庭
「上の運動場」があって、体育の時間は楽々とこの階段を登っていました。
その母校も廃校になってしまいました・・・。(奥に校舎が見えますね)
階段を登っているご婦人に「登るのきつかですね」って声をかけました。
「くだりはよかですけど、登るのはね・・・休み休み登ります・・」
でも、下りも怖かったです。
階段が斜めに切れた感じで均質でなく、中央の手すりにすがってこわごわ下りましたよ。
昔はこんな感じではなかったような、改修したようですが、手抜き工事?かもね。
まいにちこの階段を登るのはつらいです・・・。
左のピンクのアパートはイマイチ人気ないようですよ。
(近くまで迂回道路で車は入るようで、乗り合いタクシーもあるのですが)
うちの実家は平地に経っていますが、小学校のときの友人の家のほとんどは高台にありました。
いつもちょっとした山登りをしながら、遊びに行っていたとっても懐かしい~思い出です。
今は用事が無いので近くてもなかなか訪れません。
私の子供の頃の長崎の風景です。
by harumisan
| 2011-07-30 16:47
| 長崎