上五島の旅1 カクレキリシタン考

長崎の話に戻ります。
先日、上五島のカクレキリシタン系の教会を回ると書きましたが、
正しくない表現なので訂正したいと思います。

本来ならば出かける前に勉強をすべきなのですが、帰ってきてから関係の本を
読みました。 宮崎賢太郎著 「カクレキリシタン オラショ 魂の通奏低音」です。
(現在アクティブに買える本はこれくらいです。なかなか興味深かった。まだ完読してませんが)

この本によると、
1549年のキリスト教の伝来、それから1614年の禁教~1873年の解禁までキリシタンは
地下に潜伏してしまった。この期間は潜伏キリシタンと呼ぶ。
1873年の幕末以降、再度宣教師がやって来て、「カトリック」に改宗したものに対しては、
復活キリシタンと呼ぶ。 
長崎にたくさんある教会はこの復活キリシタンの方々の聖堂であるといえるのでしょうか?
ほとんどが明治~昭和初期に建てられたものです。

では、「カクレキリシタン」の定義はというと、
禁教を解かれても、カトリックに改宗もせず、潜伏時代の教えを守り通している者。
だそうです。

個人的には潜伏といっても、隠れていたのと同じなので、”潜伏=隠れ”でもいいかと
思うんですけどね。で、やはり現在の長崎のカトリック信者の多くは、”潜伏=隠れ”の
末裔の方ではないかと??やや強引ですかね?言い過ぎていたらごめんなさい。

潜伏キリシタンの方はお寺の檀家にもなり、踏み絵も踏んで、隠れて信仰を守り通した
らしいです。本来のカトリックの教えを基にしながらも、日本古来の多神教の信仰とも結びつき、
現世利益、呪術的であったり、先祖崇拝などと・・・独自な形になってしまったようです。

過程ではお寺や神社との関わりも深くなって、解禁後はカトリックに戻るというより、
仏教や神道に行っちゃう人の方が多かったと本には書かれています。

しかし、五島列島の教会の数といったら半端ではありませんよ。
小さな町ごとに立派な教会が建てられています。島の人口を考えても多すぎです。
ということはカトリックに戻った人が多かったのか。戻ったかはわからないけれど、
当時の宣教師がいい仕事をした(あっぱれ!)ということでしょうか?

いろいろ考えてしまいました。
次から訪れた教会の紹介などを・・

◆8/6 16:30追記
またまた訂正をします。
「解禁後はカトリックに戻るというより、仏教や神道に行っちゃう人の方が多かったと
本には書かれています。」と、書きましたが、
仏教や神道に行っちゃう人が多いのは、解禁後もカクレを継続していたけれど、
いろんな時代の流れでカクレ組織を解散した人々・・ のまちがいです。
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by harumisan | 2007-08-05 17:55 | 長崎

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by harumisan